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2012年3月16日金曜日

『中川 運河 写真』

今号のブックレビューでは、38日に発行された写真集『中川 運河 写真』を紹介します。本来ブックレビューは第三者が書くものですが、今回は写真撮影に携わった作家の一人である先間康博さんに、中川運河とどう向き合っていったかを交えながら紹介していただきます。

『中川 運河 写真』
2012年 eight 3150円(税込)

 中川運河と聞いた時、なにかそこに水脈があることは薄々気付いてはいても、それ以上なにも想像しえない程度のものでしかなかった。その上、見聞きする噂は、船の往来もほとんどなく、桜などこれといったものも少なく、臭いまでする。しかも、川辺にはほとんど近付けない。これで果たして、写すことができるのか。不安に思い、何度か行ってみたものの、そこにはただ動かない運河があるだけ。それ以上は何も見えてこず、半ば見切り発車的に始めることになってしまった。
 しかし、通っているうち、撮影という行為の為せる業か、次第にいろいろ見えてくるものである。光の変化はもちろんのこと、運河を通り抜ける風、数は少なくとも咲き誇る桜、実際には船の往来もある。水面の近くへも、丹念に探すと、そこかしこで近付くことができる。運河がもっと生き生きとした存在に見えてくる。最終的には、いま船がどこにいて、どこを風が吹いているのか、運河に出向かなくとも、頭の中で思えるようになる。視るということは、今までの思いから離れ、意識されえなかったものを発見し、新たな世界を形作っていくこと。そのようなことも、至極当然のことではある。とはいえ、全てを我が手中に入れられるはずもない。海鵜の大群が水面ぎりぎりを通り過ぎていく様など、ただ呆然と眺めているだけだった。
 他の方も、時間をかけて中川運河の撮影を行なったようである。櫃田珠実は水際の柔らかい光を捕らえ、尾野訓大はより白い夜の壁面の光沢を撫で、村上誠は昼と夜のあわいに育まれる凪の中に分け入っていた。いま、私を含め、それぞれの写真を見返すと、その踏み込み方は、ただ外から中川運河を撮るというよりも、なにか中川運河になるといったような、かなり踏み込んだものだったのではないだろうか。それゆえ、いわゆる中川運河の紹介として見たいと思う人にとっては、客観的で説明的ではないこのような写真に対して、期待外れの思いを持ってしまうのかもしれない。けれど、もし中川運河という一つの生き物がいるのだとしたら、彼はこのようなものを見ているのではないだろうか。そう思わせるような写真が、一つ一つ並んでいる。
 とはいえ、各々かなり異なる作品群である。一つにまとめることは、かなり困難を極めたようだ。いっそのこと、作家ごとに作品をまとめてしまえば、わかりやすかったかもしれない。けれど、それでは中川運河という一つの流れを分断してしまい、個々の見た運河像を、ただばらばらに見せるだけである。それを、インタヴューや論文も含め、このような形態をとることによってはじめて、中川運河の本来の姿が、表紙の淡い水の色に包まれながら見えてきているのかもしれない。
 もっとも、それがどのようなものか。作者の一人である私には、客観的には見ることができない。それでもなお互いの結びつきが弱く、静かに紡ぎすぎなのかもしれない。様々なつながりを求めて、一つの樹木としての本ではなく、一種の多様体(『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ)として、広く世界に向かって作用していくような本にまで成りきれていないのかもしれない。ただ、都市工学者でもない私にとって、そのような作用が、現実の風景にまで表れることは、必要としていない。私にとって風景とは、作り出すものではない。すでにあるものを受け入れるものでしかないのである。それらを、全く新しい多彩な姿として再び還すこと。そのことで、世界にどう作用できたのか。そのことこそが、私の問題なのである。

■展覧会 中川 運河 写真
会期/201236(火)~18日(日) 10:0018:00 入場無料
土・日曜日~17:00
会場/名古屋都市センター11階 まちづくり広場企画展示コーナー
名古屋市中区金山町一丁目11号 金山南ビル内